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よこはま
Pht0411301802.jpg
研修で今は横浜。
こんなに早くおわったのに今から新橋で呑み!
ありえなーい。

しかし久々に見ると横浜観覧車もなかなか。
近いうちに遊びに来たいな♪


ペン追記
ただいま。今2時すぎでお風呂に入ったところだけど、実はさっき帰ってきたばかり。
呑み会は23時前に終わったんだけど。。。
いつものごとく(?)電車で眠ってしまい、気づいたら渋谷だった。
っていうか渋谷発の電車に乗って、終点までいって帰ってきてるはず。時間的に。
だって渋谷で22時代の電車に乗っているはずだから。
しかし気づいたら1時前で終電もなくなっていてて渋谷からタクシーで帰ったきた私。。。
あーブルー。死んでるわ。6180円也。
呑み会の記憶も最後のほうあんまりっていうか、ほとんどないし。
さらに、渋谷で「財布がない!」っておもって事務所とか行って騒ぎまくってたんだけど、あとでふと見たら普通に鞄にはいってた。ほっ&ふしぎー。
でも駅員さん曰く、「スリ多いんだよねー、私服警官ものってるけど」とのこと。これだけ寝てて被害に遭ってないのが奇跡かもしれない。ほんと、気をつけようと思ったよ。
とりあえず呑み会お金払ったかも憶えてなくて、明日訊くのが微妙にいやだわ。。。
さあ、寝よう。おやすみー。
| 古屋 江美子 | おでかけ/イベント | comments(3) | trackbacks(0) |
とりあえずクリスマス準備・・・
とりあえず今日のブログを書く前にひとこと。
この記事じつは既に2回書いたのに、jugemの不具合でエラーになってこれが3度目の書き直し。。。
ということで発狂寸前です。
じゃあやめたらいいのに半ば意地だね。
ということで多分内容は相当はしょって書きます。

ペン ペン ペン

明日で11月もおわり。もう2004年もあと一ヶ月だ。
毎年思うが、ここから1ヶ月は本当に早い。さすが師も走る師走。
ちょっと焦ったので昨日年賀状を買った。
まだ書いてないけどとりあえずちょっと安心。

あと正月の前にはクリスマスという行事もある。
ということで我が家もクリスマスツリーを出した。
出したと言っても、去年飾りを付けたまま押入に押し込んでいるので、本当に出しただけ。そしてちょっとほこりを払った。所要時間1分弱。

カメラ これです。


しょぼーい!
思っていた以上にしょぼくてしょぼくれた。
もうちょっと派手だと思ってたのにな。
やはり電飾なしがダメなのか、小さいのがダメなのか。
一年間ホコリに埋もれて輝きを失ってしまったのか。。。いずれにしても地味だ。
そもそも私はこういうものに関しては、派手であれば派手なほうが好きなのだ。
派手にやりすぎて、「あーやりすぎでちょっと趣味悪くなっちゃったね」というところに一歩踏み込んでいるくらいが好き。(一歩踏み込む手前ではないのがポイント。)
そういう意味で、トラックの装飾とか、田舎のヤンキーのバイクとか嫌いじゃない。もちろん何でもいいわけじゃなく、そんな中にも私なりの美学の基準はあるんだけど。。。
まあそんなわけでこのツリーは相当物足りなく感じているところです。

あー電飾ガンガンのドでかいツリーがほしい!
これくらいちっちゃいけど、結構派手に飾り付けできてイカしたツリーもってるぜいっ!って方がいたらぜひぜひ教えて欲しいものです。
| 古屋 江美子 | てきとーく | comments(3) | trackbacks(0) |
哲学にはまる2
昨日、鷲田さんの本を3冊紹介したが、その内容と同様のことが今日の田口ランディさんのブログに書かれていた。
しかも2つも。そのタイムリーさに驚いた。
かなり具体的な話で、本の内容をより理解する助けになると思うので、本に興味を持たれた方にはぜひ読んでみてほしいです。

1つ目は、<自分>について。
田口さんは以下のように書いている。
『苦しんでいる人の隣で、どういう他者になれるのか……ってのが、私がずうっと考えてきたことで、その答えはまだない。なんにもできないなあ……と、いつも思う。』
これはまさに、鷲田さんの言うところの「他者のなかで意味のある他者であり得ているという、そういうあり方のなかにのみ、人はかろうじて自分の存在を見いだすことができる」ということを実現しようとしている姿に他ならないと思う。人はやはり無意識的にそうやって自分の意味を見いだそうとするものなんだなあと改めて思った。

2つ目は、<ゆるみ>について。
鷲田さんは、ゆるみをもつことの大切さと自分をがちがちに固めてしまうことの危うさを強調しているが、田口さんも同じ事を言っている。
『人は閉鎖的なストレス情況のなかで、繰り返し同じことを考え続けていると、思考回路がかたまって思考の逃げ道がなくなる。』
2人とも言わんとしていることは同じだが、こちらのブログではもっと具体的に書かれているので、とてもわかりやすいと思う。

ちなみに、鷲田さんと田口さんは以前対談をしている。これまたかなり面白いので興味がある方はよんでみてください。
※対談: 「立ち直りたいんなら、やっぱSMでしょ」 (タイトルもすてき♪)

ペン ペン ペン

なんだか哲学にはまっている昨今だが、なんともタイミングがいい感じで哲学の先生からハガキがきた。
鷲田先生ではないが、私が大学時代にお世話になっていたこれまた哲学の教授である。今も交流させて頂いているのだが、この方もとても魅力的だ。
鷲田さんとは若干趣が異なり、どちらかと言えば硬派な哲学者で、講義の内容も堅め。でも、やっぱりどこか粋なのである。ユーモアセンスに長けている、という感じか。

二人に共通して思うのは、「生き方がうまい」ということだ。
どこか力が抜けていて、まさに鷲田さんの言うところの「ゆるみ」をいい加減(良い加減)で持っている。
それによって、思考が固定観念でガチガチにされることもなくフレキシブルでありえている。話していておもしろく、また魅力的に感じる理由はそこにあるのだろう。大学教授にありがちな凝り固まった思想というものがない。どんな意見もそれなりに受け入れ、自分流に調理することができる。
これらは「哲学者」に共通の事項なのかもしれないし、たまたま2人がそういう方だっただけかもしれないが、実際のところはどうだろう。

適度なゆるみは自分が生きるのを楽にもしてくれると同時に魅力的にもしてくれるのだと思う。
人は油断するとすぐひとつの観念に憑かれてしまうが、いつも適度なゆるみを持って生きていきたいものだ、と心から思う。
| 古屋 江美子 | てきとーく | comments(3) | trackbacks(0) |
哲学にはまる
この2週間で鷲田清一さんの本にはまって、3冊読んだ。
『哲学クリニック』、『じぶん・この不思議な存在』、『悲鳴をあげる身体』。

鷲田清一氏は大学教授で、哲学・倫理学を教えている。
実は私も大学時代に、鷲田さんの授業を半年だけ受講したことがある。
・・・だが、毎回ほとんど居眠りしていたので、内容はほとんど憶えていない。今思うとなんとももったいないことか。
鷲田さんは大学教授としては一風変わっている、と思う。そしてそこが非常に魅力的なのだ。うまく説明できないが、敢えて言うなら「ナウイ」のだ。講義での話し方もそうだし、取り上げる題材も身体とかファッションなど粋である。
当時から、鷲田さんに興味はあったものの特に本を読んだりはせず。(まあ授業中寝ているくらいだから。。。)
それが大学を卒業してだいぶたった今頃にマイブームとしてやってきた。

3冊とも非常によい本で、これらを読んで最近悩んでいた私のこころはだいぶ軽くなった。なので、いろいろ述べたいところなのであるが、特に後ろ2冊はかなり哲学的な本なので、どうもうまく説明する自信がない。まあ、思うままに書いてみます。

ペン ペン ペン

読書 『哲学クリニック』(難易度:1 <※10段階レベル>
正式な題名は「働く女性のための哲学クリニック」。
仕事や恋愛について章がわかれており、働く女性との質疑応答形式で、現代女性が抱いているような悩みに答えていく。
質問も「モテないことが悩みです<笑>」なんていう普通で共感できるものばかり。それに対する鷲田さんの解がまた明確でおもしろい。哲学のエッセンスを散りばめつつも、全く小難しくない。
雑誌のお悩みコーナー的で気楽に読めて、かなりお薦め。

読書 『じぶん・この不思議な存在』(難易度:2.5)
アマゾンの書評では「高校生向け」とも書かれていたが、哲学思考に慣れていない私には少し難しめ。レベル的には「バカの壁」と同じくらいだなあと思ったので、あれを難なく読める人には問題なく読めるはず。
「じぶん」とは何か?という誰もが一度では抱くであろう問いに対する鷲田さんなりの解釈を論じた本。簡単に結論をいうと、
『<わたし>とは他者と関係するなかでしか存在しえない。他者のなかで意味のある他者であり得ているという、そういうあり方のなかにのみ、人はかろうじて自分の存在を見いだすことができる。』
ただし、これには続きがあって、『わたしたちはこの世界をみんなと同じように見て聴いている。しかしそういう事実はすべて「わたしだけ」が見ているこの世界の中のことにすぎない。他人が見たり聴いたりしている世界については、空想することはできても触れることはできないし、存在を確証しようがない。そういう意味で「わたしの世界」に外部は存在しない。だとすれば、「他者との関わり」というものは本当の意味では存在しえないことになり、「他者は存在しない=自分はもともと存在しない」ということになってしまう。』、というのだ。
ここまでくると哲学的すぎて、まあ確かに論理的にはそうだなという感想くらいしか持てない。ちなみに鷲田さん自身もこれについては未だ答えを出せていない。

読書 『悲鳴をあげる身体』(難易度:5)
これが上述した私の気持ちを軽くしてくれた本である。なぜならば、
『「すきま」、つまり遊びという意味での間の存在が生きることに不可欠である。』
このことの意味がすごく理解できたからだろう。
ここでいう遊びというのは、「自動車のブレーキの遊び」とほぼ同義で、本書では「ゆるみ」とも表現されている。
世界についての不変の解釈図式や行為の型といったものは、現実の生活を営むためには必要なものであるが、そこにまったく「すきま」がないというのは実はもっとも崩れやすく危険なものだと言う。ブレーキに遊びがないことが逆に非常に危険であることと同じだ。もうすこしわかりやすくいうと、つまり「融通がきく」ことが良い、ということなのだ。
この世界は、例えば会社員とかの定義にしても、現代社会の観念体系から造りだされている秩序によって成立している。それは偶然的なものにすぎず、その意味で「他でもありうる」というわたしたちの生存は極めて恣意的なものにすぎない。それをふまえて、現実の対項としてではなく、現実のなかにあって現実を組み立てているものとして遊びを考えることが重要だ、と鷲田さんは言う。
ごく当たり前のことなのだが、このことが私を楽にしてくれた。知らないうちに自分をガチガチの状態にしてしまっていたことに気がつかせてくれたからだ。
この本はそもそもは「身体」とは何か?(自分の所有物か、自分自身か)というような問いに対する見解を述べた本なのだが、私はこの「ゆるみ」の部分が一番印象に残った。
3冊の中で一番むずかしかったけど、ある意味一番よかった気がする。

ペン ペン ペン

もちろん本が論じていることや、私自身が感じたことも他にもたくさんあるのだが、私の文章力ではこれ以上表現するのは難しすぎるので、とりあえず今日はこれくらいで。
私にとって、この手の本は読み慣れていないので難しい。いつも難易度1の本しか読んでいないというのもある。下の2冊は2回ずつ読んだ。
気軽な小説と違って、論理的に話が展開されていくので、集中していないと文章の途中で迷子になってしまうのだ。実際、私も何度も迷子になってページを戻る羽目になった。

それにしても哲学は「心を裸にする学問」だとつくづく思う。
鷲田さんも本のなかで、『胃は通常の中では存在を意識しない。それを意識するのは調子が悪くなったとき。それと同じで、「自分」というものを意識したり、そレに対して疑問をもつということは、「自分」が衰弱している証拠。』と言っていたが、そういう不安定な心理状態で読むから余計そう思うのかもしれない。
普段、人は日常生活を問題なく生きるために、心に鎧のようなものを半ば無意識で纏っている。哲学はその鎧をやぶって、直接心をわしづかみにし、揺さぶりをかけてくるような気がする。特に心が弱っているときは、鎧も薄くなっているから、簡単に心の奥に入ってこられてしまうのだろう。例えば、元気に生活しているときは、軽く流してしまえるような言葉にも思わず涙してしまったり。
でも、この感覚がなんとも言えず心地よく一種の快感だったりもする。それが人が哲学にはまるひとつの理由のなのかもしれない、とふと思った。
| 古屋 江美子 | | comments(4) | trackbacks(0) |
サラ・ジェシカ・パーカーがやって来た!
サラ・ジェシカ・パーカーは私も大好きな人気海外ドラマ「SEX and the CITY」の主人公キャリー役の女優さん。

カメラ 最新のシーズン6 vol.1のDVD。 vol.2は11/26発売。サラは左上です。
セックス・アンド・ザ・シティ シーズン 6 vol.1
セックス・アンド・ザ・シティ シーズン 6 vol.1

そのサラがドラマの最終シーズン6のDVDリリースのプロモーションのために、21日から本日24日まで初来日していました。もう日も変わったので帰ってしまっただろうけど。。
成田空港に到着時には300人のファンが集まる騒ぎだったようで、ドラマに人気ぶりがわかる。ニューヨークではロケ地ツアーまであるほどの人気らしい。
そんな彼女が今日は「とくだね!」と「笑っていいとも」に出演する、ということで録画しておいたDVDを見て、独りにやにやしていたところ♪ 簡単に見た感想を書くと・・・

◆「とくだね」
イベントの映像やSATCの紹介に加え、単独インタビューまであってなかなか充実の内容。インタビュアーがデーブ・スペクターというところがいまいちだったけど。まあ英語でやっていたのでリズムのあるインタビューになっていたのは良かったな。
サラはかわいかった。動きとかしゃべり方が本当にキュート。
なんか本当にキャリーみたいで、とても39歳子持ちには見えなかった。

◆「笑っていいとも」
こちらはエンディングゲストとして出たので一瞬だけ。タモリとかあまり知らないようで、特に会話も弾まずDVDの紹介をしたくらいで終わり。
最後にタモリが「明日も見てくれるかな?」ときいて、みんながこぶしをあげて「いいともー!」と応えるいつものシーンに、本気でびっくりしていたのが少し笑えた。

今回の来日中にはベルファーレとかでイベントもあったらしいけど、気づいたのが遅くて既に抽選の締め切りが過ぎていた。かーなーり残念。(といっても1組2名とかなんだけど。)
あー本場ニューヨークでSATCごっこしたいな。

| 古屋 江美子 | てきとーく | comments(1) | trackbacks(2) |
満月の森
『満月の森』というのは占いの館だ。
昨日、ついにその魅惑の館に足を踏み入れてみた。
仕事について悩みすぎて、ついには占いにまで手を出し始めたワタシ。

でも、ここは前々から来てみたかった館。
目的は山口由莉先生。
なんと彼女はあの悪名名高い2chでも唯一認められているという希有な存在なのだ。私の知り合いで占ってもらった人も「かなり良かった」と言っていたので、前から興味はあった。
占い師に占ってもらうのは人生で2度目。1度目は大学生の時だったが、その時は占い師に外れたのか、言われることがあまりにもトンチンカンであまり真剣に聞く気にもなれず、今では内容も忘れてしまった。
元々占いにあまり興味もないので、今回も「何かおもしろいことが聞ければいいな」くらいの軽い気分で足を運んだ。

月 月 月

まず感想から。
一言で言うと、「結構よかった」。
山口先生は温かいひとだ。にじみ出るオーラというか気が人をやさしく包み込むかんじ。穏やかなリズムで生きている人だなあと好感を持った。
占いは、四柱推命、姓名判断、手相、オーラ(霊感、ヒーリング?)などから総合的に判断。基本的にアドバイスをもらいに行ったので、当たるとか当たらないという世界ではないのだが、それでも、過去のことなど「言い当てている」と感じることが多々あった。「そうかなあ」と疑問に思った発言は1つしかなかった。別に占い師に心酔している訳ではないが、冷静に分析しても、これって結構すごいかもしれない。
もちろん占いを全面的に信じることはないし、ましてやその仰せのままに生きていく気もサラサラないけれど、ひとつの意見としては非常に参考になった。自分の心を再認識する意味でも。

鑑定結果によると、私の人生の大まかな流れは以下。
 (1)27歳8ヶ月前後に人生の転機がある
 (2)その次は37歳8ヶ月前後に人生の転機がある
 (3)57歳に通常の人が味わえないくらいの幸福を味わう
  (例えば…お金持ちになるとか、子供が天才とか、夫がノーベル賞をとるとか)
 (4)そこから残り40年以上の人生は、その幸福がつづき幸せに暮らす

(3)がものすごーーーく楽しみなんだけど、如何せん遠い未来すぎる。。。
まあ、平和にくらせるみたいでよいこと。
しかも、私の人生における最悪期はすでに終わっているというし。(この時期についてはとても当たっていると思った。)
あ、でも今年と来年は天中殺だと判明。
そうかだからこんなに悩むのか、と勝手に納得してしまった。

月 月 月

ちなみに、「満月の夜」ではメールや電話相談もあるようだが、やはり直接会ってオーラを見てもらうのがベストだと思う。
鑑定料は30分¥4000。
満月には「満月の日には子供が多く産まれる」ということも事実あるように何らかのパワーがある気がする。
そう思うとなかなかいいネーミングではないか。

占いもパチスロと一緒でたまにやるとなかなかおもしろいと思う。
| 古屋 江美子 | てきとーく | comments(14) | trackbacks(1) |
日本三大・・・
『日本三大○○』とつくものは数あれど、『日本三大奇橋』なるものがあることは知らなかった。
それも愛すべき我が故郷、山梨県に。

ということで行楽日和だったこの週末、行ってみた。ちょうど紅葉を見に行きたかったのだ。
今週の見頃の名所のうち、人気がありそうなのは『箱根』あたりだったのだが、激混みが予想されたので、ちょっとマイナーで空いていそうなところへ行こうということになった。
山梨県は大月市にある、その名も『猿橋』。

カメラ 猿橋 奇橋の所以(支えの部分)


奇橋と言われるその所以は構造にあった。
谷が31mと深く、橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋が支えられているのだ。

カメラ 猿橋の上から。谷底まで距離があることがわかる。


ちなみにこの猿橋、マイナーもマイナーな場所で(山梨県民の私は名前くらいは知っていたが)、この日も10人くらいしか居なかった。
橋以外に周囲にさほど見どころもないし、当然といえば当然かも。
しかし、最近疲れ気味であった私の心を癒すには、これくらいしっぽりした感じがベストだった。自分の故郷ということもあり、なんだか妙に落ち着いた。
まあ、他の人には特に強烈にお薦めはしないが、紅葉の季節にいってみるのは、悪くないかもしれない。東京からも近いし。


帰りは、山梨名物『ほうとう』を食べた。
ほうとうは私の大好物。きしめんみたいな太い麺を、かぼちゃとかの野菜をいれた味噌味の汁で煮込んだものだ。
立ち寄ったのは、上野原町にある、『あずま』。
単にそこしかお店がなかったから、という理由で入ったのだが、なかなかおいしかった。
手作りの麺、味噌、有機野菜を使っていて、すこし薄目のやさしい味。
しかし、主人一人で注文訊き/調理/会計まで全部やっているようで、なかなか大変そうだ。基本的にはさほど混んでいないのでやっていけているのだろう。ちなみにこの主人、チラシによると通称「ひげおやじ」らしいのだが、ひげは剃ったらしくなかった。いいのか?!

カメラ 『あずま』の鴨ほうとう。国道20号沿い、スーパー「ひうが」の隣。



ちなみに日本三大奇橋。残る2つは、
 ・錦帯橋(山口県錦川)
 ・愛本橋(富山県黒部川)
だそう。うーん、果たして人生のうちで、訪れる機会はあるのかしら。
| 古屋 江美子 | 山梨 | comments(2) | trackbacks(0) |
ラ・ボエム 自由が丘 オープン☆
自由が丘にラ・ボエムがオープンした。正確には23日(月)だが。
ということで、今日はそのレセプションパーティに行って来た。

ハート ハート ハート 

以前モンスーンのレセプションパーティに行きそびれた悲しい思い出があるので、今回は絶対に行くぞとかなり意気込んでいた。とくに自由が丘という好立地だし、ラボエムはかなり好きだし。

で、行ってみての感想。
・・・混みすぎ。とにかく混みすぎ。もうそれだけ。
パーティと言っても、何かすごく特別なことがあるわけじゃなくて、基本的に食べたり飲んだりの立食パーティ。一応、途中に店長挨拶とかもあったけど。
いやー、みんなどこから情報を得ているのかしらないが、よくぞこんなに集まったものだと半ば感心する気持ちだった。自分もその一人であることは棚に上げて。
客層もかなり幅広い。
やっぱり20代〜30代の会社員風の人が一番多いのだけど、なかには子連れの親子までいて、「晩ゴハン食べに来てるの?」と思わず突っ込みたくなった。
そして何よりも圧倒されたのは人々の食べ物に群がるパワー。本当にすごい。人間は食べ物を見ると反応してしまう動物なんだーと本能を見せつけられた気分になった。
食べ物が運ばれてくると、我先に!とトレーに群がる姿は、配給を待ちわびた人々のようで、優雅なパーティとはほど遠い光景。うーむ、「タダより高い物はない」とはいうけど、やっぱりタダのパワーはすごい。しかもおいしいし。特にパスタ類。
なかでも、ひときわ輝いていたのはおばちゃんパワー。
食べ物は次から次へと出てくるが、本当にあっというまになくなる。それらをいち早く取りに行っているのは、毎回おばちゃんなのだった。スーパーの特売に群がるような、まさにあの感じで突進してくるからムードも何もあったものではない。割合からいえば、おばちゃんは全体の1割くらいにすぎなかっただろうけど、その存在感で群をぬいて目立っていた。

しかしおばちゃんというのは切ない存在だ。
同じ食べ物に群がるのでも、10代の女の子がやれば、「若いねー」「元気だねー」で済むのに、おばちゃんがやると非常に見苦しい。やっぱりある程度年齢を重ねたら、優雅に振る舞わないと本当にダサく見えてしまう。
こういうパーティに来ることは大いに結構だと思うが、来た際は、むやみやたらにお料理にがっついたりしないで、優雅に歓談を楽しむ大人の女性の余裕をみせてほしい。そうでないと商店街の井戸端会議みたいで、非常に貧しい光景になってしまう。
近い将来、自分も仲間入りするおばちゃんだけに、ある意味とっても勉強させてもらった。

カメラ 混み混みの会場。外人さんも多かった。
  

ハート ハート ハート

それにしても最近グローバルダイニングの新店舗のオープンラッシュっぷりは目を見張るものがある。
レセプションパーティの便りもたくさん届くが、とりあえず今回で雰囲気がわかったので満足。当面行かないだろうな。とにかく混みすぎだから。まあよほど近くにオープンした時とか、仕事も早く終わって暇な時とかには、かるい気持ちでのぞきにいくかもしれない。

ついでに今日再認識したのだが、立ち飲みはやっぱり酔っぱらう。
今日もあまり飲んでいないのにえらく酔っぱらった気がする。
安上がりでなので、ま、いっか。


| 古屋 江美子 | グルメ | comments(2) | trackbacks(0) |
ポルトガル料理
ポルトガル人とポルトガル料理を食べに行った。
今年1月ポルトガルに行ったんだけど、そのときは人生最大級にお腹を壊していたので、いまいちポルトガル料理を堪能できなかった。なので、今日は「たべるぞ!」と相当意気込んでいた。

パン パン パン

マヌエル カーザ・デ・ファド
場所は四ッ谷。これがまたかなり分かりにくい。
私は麹町から行ったのだが、気づいたら市ヶ谷の駅にいてそこからタクシーを使うハメになった。
小さな旗が店の前に出ているだけで外からは分かりにくいのだが、地下に降りてみると中はそこそこ広く、さらにこんなに分かりにくい場所なのにかなり混んでいた。
日本在住25年のポルトガル人マネージャーが経営していて、お料理もとてもおいしい。
ポルトガルには「ファド」という哀愁漂う音楽があって、そのライブもやっていたりした。(これは日本人によるものだったけど。)
お料理は、一緒に行ったポルトガル人たちに言わせても「なかなか」とのこと。

ポルトガル人のゆっくりペースのせいか、普通に食べて飲み終わってみるともう0時前だった。お店は23時までなんだけど特に追い出されることもなく。
ウェイトレスさんも、「いいんですよ、ポルトガル時間なんです。」と言っていた。のんびりでいいなあ。

さらに帰りは、そのポルトガル人マネージャーさんに車で渋谷まで送ってもらった。ちょうど帰るところで通り道なので送ってくれたのだ。ラッキー♪

ポルトガル料理ってあまり食べる機会はないと思うけど、日本人のお口に合うしかなりお薦めです。


| 古屋 江美子 | グルメ | comments(0) | trackbacks(0) |
オカルト
おとといのブログはだいぶ暗いトーンだったが、実はあの晩、本当に熱が出た。
寝ている間にかなり派手に発熱したようで、朝起きると、本当に汗びっしょりで、かなりぐったりしてしまっていたので、会社を休んだ。
どうやら本当に体調は悪かったようだ。
でも今日はなかなか調子がいい。

ちなみに、ここ1週間くらいは"地球"のバイオリズムも調子が悪いらしい。人によってはその影響で具合が悪くなってしまうこともあるらしいので、もしかしたら私の最近の具合の悪さもその影響かもしれない。
・・・なんて、こんなことは、昔なら一笑に付していただろう。それが、いまは「そういうこともあるかもしれない」と普通に思ったりしているから、不思議なものである。

ペン ペン ペン

最近読んだ「オカルト」(田口ランディ著)という本は、著者が感じる色々な不思議をまとめた本で、かなりおもしろく読めた。(※一般的なオカルトという言葉からイメージするような恐怖本ではない。)
彼女曰く。 『オカルトは、信じるものではなくて、感じるものだと思う。』

多分世の中には不思議なこと、科学で説明のつかないことがたくさんある。
私は大学で物理を専攻していたせいもあって、『科学的に証明できないものは実在しえない。』という思考に陥っていた時期があった。今はそうでないものの存在も認められるし、そういうものの存在をなんとなく自分で感じる瞬間というのもある。
考えすぎるとアブナイ方向に行ってしまいそうだけど、ちょっと認める分には人生はおもしろい。

「オカルト」の中で一番おもしろかったのは、「拾い物の達人」の話。
その達人は本当によく色々なものを拾うのだ。宝石とか、傘とか、本当に何でも。
達人曰く。 『世界にはどこにでもなんでも落ちている。そして拾うべくして拾う。ただし、儲けようとか生産的に考えると拾えない。拾い物というのは、世界といっしょに遊ぶ、いわば遊戯である。万物は流転しているんだ。』
これを読んで以降、私も外を気を付けて歩いてみようと思っている。でも、すぐに忘れてしまって、気がつくのは、靴下とか靴とか変わった物が目に付いたときだけ。さすがにそんなものは拾わないが。
それにしても道で意外とよく目にする、片方だけ落ちている靴や靴下。
あれは誰がどういうタイミングで落としているのか、地味ながら非常に気になるところ。。。
| 古屋 江美子 | | comments(0) | trackbacks(0) |